研修医実習レポート

沖縄赤十字病院
研修医

ジョッツィ麻由

実習期間

2021年9月6日~2021年9月30日

実際の現場を見るまでは、私が訪問診療に対して持つイメージは「医師が自宅へ出向いて診察し、少しでも積極的な治療介入(抗生剤点滴等)が必要であれば、病院へと搬送する」という感じであった。しかし、はいさいクリニックでは、抗生剤の点滴は当たり前、病院搬送は本当にどうしようもない時以外は積極的に行わない、かなり攻めの訪問診療を行っていた。内科エマージェンシーの一つである胆管炎まで在宅で診ていた時には、衝撃的であった。治すには病院での治療が一番とも思うが、病院へ行きたくない、という本人の強い希望からであった。胆管炎から腹膜炎に至り、翌日には亡くなった、という話も研修中に耳に挟んだ。病院での医療しか知らなかったため、胆管炎を在宅診療で何とかしようとするのは、ある意味傲慢ではないかと思ったが、それこそ、医療者側の傲慢から来る想いであると気づいた。患者本人の人生なのであるから、患者が決めるべきものなのだ。科学的なエビデンスなど、患者本人が納得しないのであれば、それは卓上の話であって、患者には意味はなさないのである。病院では、何か治療をしなければいけない、という強迫観念のようなものもあり、医師も何もしないというのは許されないと思ってしまっている。しかし、治療をすることが一番、生きていさえすればいい、というのが当てはまらないことも多くあるのだ。結局、患者の生き方は患者が決める。それでいいのだ。我々医療者は、生き方の選択肢を示すガイドの存在でいいのだ。
研修中に、看取りに立ち合うことが出来たが、最期の時間を共に過ごせた、と家族の満足感が、病院での看取りとは違うように感じた。自分の犬を看取る時も、病院には無理とは言われたが、やはり生まれ育った家で最期の時間を願い、連れて帰って来たことを思い出した。犬は特に嗅覚が敏感なため、家に帰って来たのが分かったのだろう。とても穏やかに最期を迎えた。病院で亡くなるのも、極力死という負の場面を目に触れさせたくない、家庭に持ち込みたくない、という心理が働くのは分かる。しかし、家で亡くなるというのは、個人が一番繋がりのある所で、家族に囲まれて旅立つというのは、患者本人にとっても、家族にとっても一番納得が行くようにも感じた。
それにしても、桜に命の儚さを感じ愛でる文化があるのに、この国では死生観を持たない人が多いのはどうしてだろうか。自分は救急で働くことがあるし、寿命が人間より圧倒的に短い犬猫を暮らしているために、嫌が応でも死が身近であるからか、自分はいつ死んでもおかしくないというのを知っている。明日、いや一秒後であっても、自分が生きている保障などないことを知っている。そのため、自分はどう死にたいか、どう死を迎えたいか、というのはいつも考えている。しかし、この国では死=絶対悪である文化が根付いてしまっており、死について語ることは、ほぼ現代では無いのではないだろうか。安楽死をしっかりと議論されないこともそのためであろう。死=絶対悪であるのであるから。しかし、何れ人は死ぬ。それは絶対に避けられない事実である。心配したことの約90%は起こることはない、とのデータがあり、心配するだけで行動を起こさないことの無意味さを示したデータはあるが、死は100%自分の身に起こるのであり、絶対に起こるのであれば、しっかり自分自身でどうしたいのか考えるのがいいのではないだろうか。そして、自分がどうしたいのか、意思を伝えられなかった時のために、家族や弁護士に伝えておいた方が良い。なぜなら、この国は、未だに本人の意思ではなく、家族の意思が一番とされ、それに従うように医療者は動かされるからだ。未だに家族に先に告知し、その後家族の意思で患者本人に告知するかどうかが決まるという場面を見るのだが、これは衝撃的だ。患者本人の人生は患者本人の人生であって、家族の人生ではない。あなたは、自分の人生を家族に決められて幸せだろうか?家族も所詮他人であることに変わりはないのに。私は、病院で寝たきりで意思疎通不可の状態で胃瘻を作られ、死ねない高齢者というのを嫌というほど見てきて、その不自然な生き方にいつも疑問を持ってしまう。ベッドの上でまったく動けない、意思疎通も出来ない、ご飯を食べる楽しみすらない、そんな独房に入れられた囚人よりも惨めな状態で、栄養だけは与えられて死ねない状態が幸せなのだろうか。これは私個人の意見であって、誰かに強制するつもりはない。しかし、胃瘻を作ろうと考えている家族には、一度、自分だったらされたいだろうか、ということを自分の立場に置き換えて考えて欲しいと思う。本当に死=絶対悪であり、不自然な生き方を強制されてまで生きることが幸せなのだろうか、と。
1ヶ月の研修を通して、色々な患者さんに出会い、色々と深慮することもあり、病院の研修は得られない、一味違った有意義な時間を過ごすことが出来た。コロナ禍の中、快く研修を引き受けて頂いたはいさいクリニックの先生方、看護師の方、スタッフの方にこの場を借りて御礼申し上げます。